| 白布温泉の由来 |
| 白布の名の由来は先住民語で「霧氷のできる場所=シラブ」という意味からつきましたが 遠い昔病いに侵された白い斑点の鷹が
湧きでる豊富な湯につかりみるみる病いを治したことから「白い斑点の鷹の湯」で『白斑鷹湯』。6Km下にある「大白部」「小白部」の部落の呼称に合わせて『白部高湯』。 ※大白布」「小白布」の「布」の字は『部』を使った時代があった。 山の峰々が白い霧で覆われる光景が多いことから『白峯高湯』。湧き出る温泉の湯花が布を流したように見えたところから『白布高湯』などとその時代その時代で呼び名を変えました。 白布高湯温泉は古くから福島の信夫高湯、山形の最上高揚(蔵王温泉)とともに奥州三高湯の一つに数えられ昔から『三湯湯治』と呼ばれて「三温泉全部に宿泊すれば100年長生きできる」と言われて賑わいました。 |
| 泉 質 |
| 含イオウ・カルシウム・硫酸塩温泉(石膏泉) 【旧名・含石膏硫化水素泉) |
| 適 応 症 |
| 動脈硬化症 慢性皮膚病 慢性婦人病 糖尿病 高血圧症 神経病 筋肉痛 関節病 五十肩 関節こわばり 痔疾 うちみ くじき 慢性消化気病 冷え性 切り傷 火傷 疲労回復 病後回復期 |
弘化三年(1846)当時の白布温泉のパンフレットを是非ご覧下さい。 |
白布高湯温泉歴史略記 上杉火種塾講話資料(宍戸 康裕氏) |
開 湯 |
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| 正 和 元 年 (1312) | 開祖 佐藤宗純住す 米沢藩主長井貞秀(5代) |
| 3 年 | 宗純妻山中にて再会 薬師堂建立 湯治場開く |
| 正 平 年間 (1346〜1348) | 遠藤某 住す |
| 康 安 2 年 (1362) | 惣門死去 |
| 貞 治 3 年 (1364) | 宗純妻死去 |
| 天 授 6 年 (1380) | 長井氏滅ぶ 伊達氏の領となる |
| 伊達氏時代 (1380〜1590) | 時に家臣の入浴あり |
| 蒲生氏時代 (1590〜1598) | |
| 上 杉 氏 時 代 |
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| 慶 長 3 年 (1598) | 上杉氏会津を領し 当地を直江山城守領す |
| 6 年 (1601) | 上杉氏 米沢三十万石領主となる |
| 8 年 (1603) | 湯の平から現在の場所へ住を移る |
| 9 年 (1604) | 白布高湯にて鉄砲製造始む |
| 元 和 元 年 (1615) | 大阪の合戦終決 白布高湯にて鉄砲製造終了 |
| 寛 永 20年 (1642) | 宍戸家湯役金免除 |
延 宝 2 年 (1674) |
両年白布高湯大洪水 |
| 延 宝 6 年 | 関三ヶ村及び李山村の山境決定 |
| 宝 永 5 年 (1708) | 御森林山の民間委託 |
| 正 徳 5 年 (1715) | 白布高湯 李山村から分かれ 関村新地となる 戸数3戸 |
| 宝 暦 3 年 (1753) | 白布高湯火災 湯宿三軒焼失 |
| 寛 政 2 年 (1790) | 鷹山公ご入浴 自筆の日記をしるす |
| 文 政 11年 (1828) | 白布高湯火災 湯宿三軒焼失 |
| 慶 応 3 年 (1867) | 藩境警備を行う |
| 4 年 (1868) | 鉄砲台木千挺分作り藩に忠信 |
| 明 治 9 年 | 温泉法 三旅館許可を得る |
| 34 年 | 現在の湯滝風呂に |
| 昭 和 2 年 | 吾妻神社 |

